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4/24 House of praise

平成最期のHOPは「宗教は盲目なり」というお話しでした。

テーマ聖句はマルコの福音書3:1〜6
イエスと宗教家の対比が書かれています。
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「安息日」というユダヤ教の律法では労働してはいけない日に、イエスはユダヤ教の教会にやって来ました。
イエスの行くところ、どこにも野次馬と弟子と宗教家たちがいて、この日もイエスの周りは人で溢れていました。そしてその群衆の中で、宗教家たちはイエスがする事をじっと見ています。
教会には一人の手の不自由な人がいました。宗教家たちは労働をしてはいけない日に、イエスがその人の手を癒す(労働)のではないか、と待ち受けているのです。

そこへイエスが問いかけます。
「安息日にして良いのは善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。命を救うことなのか、殺すことなのか」
宗教家たちは何も言えなくなり黙ってしまいます。
それを見たイエスは怒り、嘆きながら、
手の不自由な人を教会の真ん中に立たせて、その人の手を癒してあげました。
宗教家が訴えようと見張っているからといって、「直さない」という選択肢はイエスの中にはありませんでした。
「安息日」というのは、本来は神に目を留め、神と共に過ごす日なのに、ユダヤ教という宗教がそれを曲解して、労働してはいけない日としてしまったのです。
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マレは、警察官と救急隊員の例を出して、「交通事故の現場で、警察官は怪我をした人を助けるためにじゃなく、事故の原因や人を追求するために駆けつける。でも救急隊員はどんな状況でも怪我をした人を助ける。あなたは人を断罪するために生きている人になりたいですか?人を助ける人になりたいですか?」

「権威が怖くて正しいことが出来なかったり、自分が持っている宝物で人の命を救えるのに差し出すことが出来なかったり、伝統を守ることに重きを置いて、本当に大切なものを忘れていたりしませんか?」と問いかけました。

私は思い当たる場面がたくさんあり、自分を情けなく思いました。
人が完全な善人になることは出来ないけれど、いつもイエスのようになりたいと思っていれば、少しでも近づくことが出来るのではないかと思いました。
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