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3/6 House of praise

この日のHouse Of Praiseは、ヨハネの福音書8章のストーリーからでした。
イエスを罠にはめようとして、律法学者とパリサイ人が1人の女性を目の前に連れて来ました。その女性は、姦淫(今でいう不倫)の現場で捕らえられたのです。モーセの律法(イスラエル人の法律)によると、姦淫をしたものは石打ちの刑で殺されなければならないことになっており、「先生!先生ならどうされますか?」と聞いてきたのです。

もし「助けなさい」と言えば「モーセの律法を軽んじている!」と訴えられるし、「石打ちにしなさい」と言えば、当時イスラエルはローマ帝国の属国だったので、裁くのはローマ議会であり、イスラエル人に裁く権限はなく「カイザル(ローマの皇帝)に背いている!」とこれまた訴えられる。という大ピンチ!!

彼らはイエスが指で地面に何かを描いている最中なのに、何度もしつこく聞いてきます。
「先生!先生!」

そこでイエスはゆっくりと立ち上がり「誰でも罪の無いものが最初に石を投げなさい」と言って、またしゃがんで何か描き始めました。すると年長者から、1人、また1人とその場を離れていきました。そして最後はその女性とイエスだけになってしまいました。ようやくイエスが立ち上がり、女性に「あなたを罪に定める者はなかったのですか?」と尋ねると、女性は「誰もいません」と答えました。するとイエスは「私もあなたを罪に問いません。行きなさい。もう二度と罪を犯さないように」と女性を帰してあげました。

律法学者とは、モーセが神から与えられた十戒という法律を解読したり分析して、法律を作る人たち、そしてパリサイ人というのはパリサイ派と呼ばれる宗教の派閥の1つで、その法律を全部守ることを使命としている人たちのことです。
彼らは神の言葉を分析している人たちなのですから、民衆に神の愛を説かなくてならない立場なのに、あろうことか民の罪を暴くのが使命になってしまっていて、イエスが民衆に大人気なのが気に入らなくて、落としいれようと策略を巡らしていたのです。

それに引き換えイエスの返答はまさに神業です。起死回生の一発逆転ホームランのように、鮮やかに彼らの罠を交わしたのです。そして神の愛で死刑になるはずだった女性を救ったのです。

マレさんの話しを聞いていると、律法学者たちがとても酷く残酷な人間に思えましたが、自分にも思い当たることはあります。
自分のことは棚に上げて、他者を責めたくなったり、自分だけ人に認めてもらえない気分になって、認められている人を羨ましく思ったり。でも自分と他者を比べて、相手を断罪しても、人間関係も良くならないし、自分の気分も良くはならないです。
神は人が罪を犯したその背後の理由も全て知っているけど、良く知りもしないで非難するのは人であり、人を陥れるのは人や、悪い心の囁きだったりします。
マレさんは「人生は誰を信頼して生きるかが重要だ」と言います。自分を救ってくれ、何度もリセットをさせてくれて「二度と悪いことしないでこっちの正しい道を行きなさい」と背中を押してくれる存在を信頼して生きろと。

この言葉を聞き、すぐに他者と比べてガックリしたり、人のアラ探しをしたくなる自分は、信頼に値しないなと思いました。罪を犯した背後も分かってくれ、チャンスを与えてくれる存在を信頼する方が希望を持って生きられると嬉しくなりました。

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